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合理的な愚か者〜『坂田利夫伝説』

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「合理的な愚か者-Rational Fools」アマルティア・セン著
坂田師匠の永遠のライバルにして、アジア初のノーベル経済学賞受賞者。開発経済学の観点から、途上国の貧困問題に取り組むことで、経済学の倫理的側面を復活させる。
奇しくも、師匠を名指すようなこのタイトルの本は、センの社会的選択理論の元ともなった論文集。数式多くて、正直サッパリわかりません。



「アホの坂田」という歌がある。
アホ、アホ、アホ〜のサカタ〜♪アホ、アホ、アホ〜のサカタ〜♪という、非常に軽快な、一度聞いたら忘れられない曲だ。
ご存知、「アホの坂田」こと坂田利夫師匠のテーマソングである。

何かのコンベンション会場で、外人の携帯電話の着信が、この「アホの坂田」だった。
外人の尻ポケットから、おもむろに「アホの坂田」が流れたときの驚愕。
坂田師匠のアホがこんな所まで浸透か!?思わず感涙してしまった後で、あの軽快なフレーズは「メキシカン・ハットダンス」という、海外では比較的ポピュラーな曲らしいことを知った。
要するに、浪花のモーツァルト、キダ・タロー先生が、あのフレーズをおパクりになっていたようである。

とは言え、坂田師匠のアホ芸は、思わぬ場所で遭遇することが多い。
最近では、ビヨンセの新曲PV内で披露しているダンスが、坂田師匠の「ヨイトセノコラセ」にソックリだと、デスチャ及び吉本新喜劇ファンの間ではもちきりだ(ABC振興会「ビヨンセの新曲PVがアホの坂田師匠のリスペクトに見えてしょうがない疑惑」)。

だいたい、アホだアホだと気軽に言うが、関西において「アホ」というのは、藤山寛美と坂田利夫以外は、みだりに使ってはならない名誉称号である。
藤山寛美亡き後、頭に「アホ」を冠することができるのは、現役上方芸人の中では坂田利夫ただ一人だ。
しかも、ああ見えて、坂田師匠はたいへん頭脳明晰な方なのである。

坂田利夫−−本名、地神(じがみ)利夫。
1941(昭和16)年、10月大阪市に生まれる。
1957(昭和32)年、私立灘高校入学。60年安保闘争には高校時代から関わり、灘校卒業後も安保闘争に専念するため浪人。このときの挫折感が、後の「暴力では何も解決しない」という思想につながる。
1961(昭和36)年、京都大学理学部数学科入学。
1965(昭和40)年、同科首席卒業ののちに、大阪大学大学院経済学研究科経済政策専攻の博士課程に入る。
1967(昭和42)年、大阪大学大学院前期博士課程修了、この年、大阪市立大学大学院の前田邦弘(前田五郎)と共に、コメディNo.1結成。
当時盛んであった反戦思想・マルキシズム思想を大衆レベルにまで浸透させるため、大学に籍を置きながらにして芸能活動を開始。
それは、地神の目指す、学術・芸能を伝達手段とした「平和的な革命思想」の浸透を目指すものでもあった。
しかし、44年の学生運動退潮、45年のラジオ大阪上方漫才大賞新人賞、翌年の第1回 NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞という二度の栄冠、そして自身の博士論文が思想的な理由から何度もリジェクトされるという現実から、 彼はお笑いの道に専心する事を決意する。

阪大時代、彼が残した論文は、マルクス主義的な「開発独裁」が、開発途上国の資源配分を最適化することを数理経済的に実証するという、衝撃的な内容であった。
が、この論文は学内で受けいれられることはなかった。
また、博士課程の学生であるにも関わらず学生運動に加担したこともあり、地神は博士号を授与されることなく、 追われるように阪大を去った。

のちにノーベル経済学賞を受賞するアマルティア・センが、1970年に『集合的選択と社会的厚生"Collective Choice and Social Welfare"』を出したとき、 地神は歯噛みして悔しがった。
何故なら、センの打ち出した、社会的公正の効用としての関数化という発想は、彼の幻の博士論文である、 『開発独裁の社会経済的合理性とそのインセンティヴ"Socio-Economic Rationality of Autocratic Development and its incentiveness"』 において、主張されたものであったからである。
しかし当時は、一般均衡理論が隆盛を極めており、帰結主義が経済学において完全に支配的であったため、彼の論文は一顧だにされなかった。
地神はこのことにいたくショックを受け、経済学の研究をやめる一つのきっかけになったと言われている。
この論文は現在、森嶋文庫に紛れ込み、今も阪大の社経研のどこかに存在するという噂はあるが、定かではない。

地神利夫——通称・坂田利夫。
栄光なき天才経済学者にして、関西お笑い界の人間国宝。
もはや、学問の世界には帰って来ないだろうと言われているが、今もその頭脳を待望する声は根強い。
なお、西川きよしが国会議員として適切な職務を全うできたのも、ブレーンとして地神利夫が動いていたからだということは、一部政財界でも良く知られた事実である——。

これこそ、ネット及び関西限定で密かに流れる、「坂田利夫伝説」の抜粋である。
本名と芸能関連の受賞歴以外は、真っ赤なウソ。
その緻密さ、大げさ、紛らわしさは、ホラここに極まれり、といった感がある。
ともあれ、坂田師匠自身、超初心者向け経済学本(「アホの坂田のビッグバンってなんでんねん?」坂田利夫著)を出しているんで、あながち経済学とかけ離れているわけではない。
また、高校時代まで、学年トップの秀才だった事は、師匠のご母堂も証言している(「息子はアホやあらへん・坂田利夫の母、語り下ろし」地神サカエ著)。

現在、この風説にはもっと尾ひれがついていて、グリーンベレー並の訓練を受けた元ゲリラ活動家で、あの独特の動きは、ジャングルで足音を立てずに歩行する特殊訓練を模したものだとか、フライパンで有機物を炒ってHIV新薬を開発したとか、金属バットを足で砕くだとか、あらぬ方向へと超人化しつつある。
我々がこうしている間にも、伝説上の坂田利夫は日々進化しているのだ。

ちなみに、この坂田利夫伝説と似た、ネットで流布する見かけによらず高学歴な有名人には、「TOKIO・城島茂伝説」がある。


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by cecilcecilia | 2006-08-25 00:38 | books